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life alchemist 天音美保 オフィシャルブログ

「あんな鳥になれたらどんなに幸せだろう」みにくいアヒルの子、空を舞う③

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「こくこく、すうすう、りかりか、しゃしゃ」
「こくこく、すうすう、りかりか、しゃしゃ」
「こくこく、すうすう、りかりか、しゃしゃ」
「こくこく、すうすう、りかりか、しゃしゃ」・・・


次の日の時間割を揃えるのに
「こくこく、すうすう、りかりか、しゃしゃ」を口ずさみながら
ランドセルに教科書を出したりしまったりを何十回と繰り返す。


何度みたって同じ教科書なのに
何十回と確認しないと不安で仕方ないのだ。

小学校は私にとって恐怖でしかなった。
小学校に入る前の1年間、私は幼稚園にも保育園にも行っていない。

自分の家にいるか
近所の人の家に預けられているかで

小学校に必要な
基本的な集団生活のルールが全くわからないままの入学だった。

与えられたロッカーに荷物を入れるとか
名前の書いてある下駄箱を探すとか
給食室に給食を取りにいくとか

そんななんともないことも恐怖でしかなかった。

いつもビクビクしてたし
ちょっとしたことでもすぐ泣くから
もちろん友達なんてできっこない。

初めての遠足の日は
雲ひとつない青空なのに

ランドセルとリュックサックを背負って
長靴を履いて行った。

どう考えても遠足は決行される天気。

もちろん親は止めたけど
私は大泣きしてランドセルも背負って学校に向かった。

不安障害がひどいときは
寝る時間を20時と決めたら20時に眠れないとそこから大泣きしてた。

朝も同じで7時に起きると決めて7時5分に目が覚めると
狂ったように泣いてた。

「遅刻する!!!!もう学校に間に合わない!!!」って叫びながら。

これが一体いつなくなったのかはよく覚えていない。

小学校の記憶はもうほとんど残っていなくて
断片的にしか思い出せない。

記憶って

悪い記憶と良い記憶のどちらもあっての記憶だから
悪い記憶に蓋しちゃうと
良い記憶も蓋されちゃうのかもしれないね。

小学校1年生の自分を大人になった自分から見て
これは辛かっただろうなあって思うのは

父の日に向けてお父さんの絵を描くという図工の授業だった。

私には父親がいないし、祖父もいない。
だからそんなものを書けるわけがない。

お父さんがいない人は変わりに〇〇を描いてください
なんて担任からのフォローもなく

私は一時間机にずっと突っ伏して泣き続けた。

いわゆる普通の家庭環境ではない自分にとって
学校は牢獄と同じ。

父親はいないし
母親は水商売。

小学生が話すことなんて
家庭という小さな世界のことがほとんど。

当時は両親がいる子が普通で
母子家庭なんて私ぐらいだった。

だから同級生に
「美保ちゃんのお母さんは何のお仕事してるの?」
なんて聞かれても答えられるわけもなく

いつも黙って一人でいるしかなかった。

小学校2年生になって
担任が変わってから少しずつ不安障害も収まってきた。

ありがたいことに私は運動神経が良かった(当時は)。

女子の中ではダントツ足が速かったもんだから
そこからちょっとずつ皆の見る目も変わってきたんだろう。

文章や絵を書くのも得意だった。

得意なものが自分の中に見つかって
それが授業中にできたり、評価されたりするのは嬉しくて

相変わらず友達はいないけれど
学校は恐怖ではなくなっていた。

学校生活に馴染んできたものの
それと反比例するように家庭環境はさらに悪くなっていた。


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