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hicetnunc-luxus-

千代田区富士見町/飯田橋・神楽坂 ヒーリング&クラニオセイクラルオステオパシーサロン

hic et nunc-luxus-

Love is the master key which opens the gates of happiness

そして、深い愛を知る②

 

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一人の人を本当に愛するとは、
すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである。

誰かに「あなたを愛している」と言うことができるなら、
「あなたを通して、すべての人を、世界を、私自身を愛している」
と言えるはずだ。

 

             エーリッヒ・フロム 『愛するということ』

 

 

言葉に真実なんてないけれど
言葉が好きだ。

言葉で作られたこの世界はとても窮屈で
人によって言葉の定義が異なるせいで
同じ言葉から同じものを受け取ることはない。

それでも、言葉で理解して伝えあうことはとても大切なもの。

身体という言葉は無音。
でも耳を傾ければ聞こえてくる言葉がある。

その言葉に私は真実を見たような気がして
この仕事を続けているのだと思う。

言葉に真実なんてないけれど
言葉が好きだ。

誰もがとても大切にしている言葉がある。
その言葉が指針になり人生を動かすこともある。

それぐらい、言葉の力は偉大だ。
悔しいけれどやっぱり言葉が好き。

私には大切にしている言葉というか
自分の人生を開く言葉というものがある。

鍵となる言葉。

 




6年くらい前にお世話になっていたセラピストさんがいる。
anoanoというロミロミのサロンを営んでいるLiliさんという女性だ。

anoano.jp

私が通っていた時は逗子の山側にサロンがあった。

西口に降りて線路沿いを歩き右に曲がると
鬱蒼とした木々が生い茂る小さな道に出る。

私には田舎がないけれど
なんとなくおばあちゃんの家に行くイメージがいつもあった。

坂道を登って行くと白い建物がある。
そこがLiliさんのサロンだ。

部屋の真ん中に大きな観葉植物が置いてあり
窓際には沢山の石が並べられていた。

Liliさんにはロミロミの施術と
フラワーエッセンスのセッションを受けに行っていた。

何か目的があってLiliさんの所に行ったのだけど
もうその目的がなんだったのかがよくわからない。

最後にLiliさんのセッションを受けたのは
暑い夏の日だった。

Liliさんのロミロミは本場のハワイ仕込みで
マッサージベッドの上にオイルを塗って
その上に全裸で横になる。

女性同士といえど
全裸で身体を委ねるのは結構勇気がいること。

でもその解放感はそれまで体験したことのないものだった。

その上から色鮮やかなパレオで身を包み込み
ダイナミックなストロークでトリートメントを行う。

その日は溶けるほど暑い日だったのに
どういうわけか私には雨の音が聞こえていた。

実際に音がしたわけではないけれど
夏の雨が自分を包んでいるような感覚がずっとしていた。

優しくて、切ない夏の雨だ。

ロミロミの施術が終わるとLiliさんからこんなことを言われた。

「美保さんに触れている時、切なさが流れ込んできました。」と。

Liliさんの言う通り私は切なかった。

なぜかと言うと、
おかしな理由なんだけど、当時は会いたいのに会えない人がいるという感覚が
いつもあったからだ。

これを言葉で説明するのは難しいのだけど
まだ会えていない大切な人がいる切なさというのがついてまわった。

私が乙女体質だからかもしれないが
今でもこの切なさは少しだけ残っている。

最近、ようやくこれが何なのかが少しだけわかってきたような。。。


続けてLiliさんはこう言った。

「美保さんにね、繰り返し繰り返しメッセージがありました。
深い愛を知るって、何度もなんども。」

深い愛を知る。

その言葉を受け取った時
言葉の意味はよくわからないけれど

その言葉が私の鍵となる言葉であることはわかった。

深い愛を知る。

今まで沢山の別れを体験してきた。
でもその分、私は色々な愛の形があることにも気がついた。

親子であり、夫婦であり、異性であり。
愛の形に決まったものはない。

だから愛に形はない。

10年以上セラピストを続けていて
沢山の愛の形を見てきた。

身体に触れながら話していると
自分の内側にある真実の言葉が溢れ出してくる人が沢山いる。

顔を見た途端に泣き崩れる人もいるし
お墓まで持ち込むことにしていた秘密を話し出す人もいる。

なんというか、誰しも1つや2つのタブーを抱えているんだよね。


真実であったとしても自分の外側に出た時に、
何者かにジャッジされてタブーとされるもの。

そういうものが、知らぬ間に重い鎖になっていることもある。

善悪の世界に慣れてしまって
それが真実のように見えるけれど
真実には善悪はない。

善悪のないもの、
それが本当の愛なのかもしれないね。

 

 

 

 

昨日の夜、Nさんがブログに直球のラブレターを書いてくれた。
素直に嬉しかった。

自分でも書いているけれどNさんはオトメンだ。
それも四十路過ぎて。

彼に伝えた言葉は
私が何回も出会いや別れを繰り返してようやくたどり着いた答え。

 

愛って本当は誰かから与えられたりするものじゃなくて
相手をきっかけに自分自身の中にある愛の蓋が開いて
それを感じることだと思うんです。
 
簡単に言ってしまうと、愛は自分の中にしかない。

 


自分の中にある深い愛に触れた時に
私達は愛を知る。

他者はその為の存在。
それは異性だけでなく、親子でも、友達でも、誰でも。

だから与えることでしか、愛に触れることはできない。

なぜなら愛は自分の中にしか存在せずに
与えるという行為によって放たれるから。


私はこの仕事を通して
自分の中にある愛に触れているのだと思う。

たくさんの人に触れて、話をして
深い愛を知る。

この愛は周りがどうあれ揺らぐことのない愛だ。

深い愛を知ることが
私の今世の課題なのかもしれない。

というか全ての人の課題だよね。きっと。

生きることは愛の表現。だから生きるんだね。

そして、深い愛を知る。

言葉にも形にも収まることのない
深い愛を知る。


ではでは、またね。